努力しても才能に勝てない?

技芸や身体技能の分野は、才能至上主義と言っても過言でありません。
歌においてはとくに顕著です。

歌の上手い人は、特別な訓練などしていない子どもの頃から上手いのです。
また際立った技術がなくても、なぜか魅力的な歌を歌う人もいます。
これもまた、もって生まれた才能と言えるでしょう。

では、大人になってから歌を学んでも意味がないのか?
いくら努力をしたところで無駄なのでしょうか?

好きこそ物の上手なれ

“好きこそ物の上手なれ”という慣用句があります。
これは「好きなことなら熱心に取り組むため上達が早い」ことを意味します。

ただ好きだったら良いわけではなく、情熱を注いで努力できるから上達するという意味です。好きなだけで努力をしない人は、”下手の横好き”ということになります。

結局のところ、夢中になれることや努力ができることも才能の一部。
才能のある人は努力を惜しまないわけです。

スポーツでも武芸でも、美術でも音楽でも、先天的な能力(才能)が高い人とそうでもない人が同じくらい努力した場合……
残念ですが、やはり才能のある人には勝てないということ。

いうなれば、努力では勝ることができない領域を”才能”と呼ぶのでしょう。

歌は優劣がすべてではない!

努力では才能に勝てない。

がっかりしたでしょうか?
今更がんばっても下手の横好きどまりか(;´д`)
努力しても報われない、そう感じた人もいたかと思います。

でも、歌に明確な優劣をつけることは困難です。
音程やリズムが合っていない、などの分かりやすい部分を除けば、正確に評価することは難しく、聞き手一人ひとりに委ねられてしまいます。
歌声には、その人の個性が溢れています。個性そのものに優劣はつけられません。

このことは歌の世界の魅力でもあり、そして残念な点でもあります。

歌(ポピュラーボーカル)は、競技のように競い合って勝敗を決めたり、順位や記録で優劣を判断することができない。明らかに”負ける”ということがありません。
負けるのは誰でも嫌です。
悔しい気持ち、情けない気持ち、時にこころが折れそうにもなるのですから、負けることがないことは良いことのようにも思えます。

負けないことが弱点

スポーツの試合が最も分かりやすいですが、文化・芸術系でも大会などはありますから、多くの人が一度や二度”負ける”経験をしたことがあると思います。
果たして、この経験は無駄だったでしょうか?

悔しい経験をしたことで、あなたは自分を客観的に見つめることができたのでは?

練習の質や量、方法を見直したり、他者にアドバイスを積極的に求めたり、これまでの自分という枠組みを超えるきっかけを与えられたのではないでしょうか。
多くのアスリートたちが言う”負けて強くなる”という経験です。

競い合うこと、勝ち負けがあることは苦しいことです。
でも、そのお陰で“現在地”を見つけることができるのです。

才能ありきの分野でありながら、客観的に自分を評価すること、現在地を見つけにくいのが歌の最大の弱点です。

目的地の前に現在地を見つける!

昔、大物歌手がこんなことを言っていました。
「才能がある人は才能がないことに気が付ける。自分に才能がないことに気が付けないようなら、その人は才能がないということ」

何やら難解な問答のようですね。
ですが、多分これは直感的なことを言っているのだと思います。
なぜなら、先ほどお話ししたように、歌は他者と比較して優劣をつけるのが難しく、自分自身を客観的に評価しにくいからです。

ですから、才能の有無なんてものは結果論でしかなく頼りになりません。

他者と比較して優劣を競う必要はありませんが、それでも他者との比較で自分をよりよく知ることが大切です。
なにせ現在地が分からなければ、どこにも進むことができないのですから。

良し悪しに関係なく自分の個性を知ること。
そして、どうありたいか……どうなりたいか……のために努力する!

歌は才能って言っておいて、才能は当てにならないから、結局は努力ってこと?

そうです!”努力しても無駄”ではなく、”努力できる”ってことです(^^)v
好きなことに情熱を注げる才能があれば十分です。
この”努力”には、とても大きなチャンスがあるのです。

上手くなるための努力とは?

歌が上手くなるためにする努力、と問われて何を思い浮かべますか?

とにかく毎日たくさん歌う!!……他には?
走る!泳ぐ!腹筋めっちゃする!!

……ダメとはいいません。ですが、これで本当に歌が上手くなると思いますか?

はじめから上手かった才能のある(であろう)人たちも、たくさん練習したと思います。
プロであれば、今も欠かさず練習し、その中にはアスリートさながらのトレーニングを日々怠ずしている人もいます。ですが、これらは直接的に歌の上達に影響しているのでしょうか?

歌は身体技能ですから、適宜に適切な身体的トレーニングは必要です。ただ、あくまでも必要な時に必要な人に必要なトレーニング、がです。
とにかく鍛えれば、それだけで歌が上手くなるわけはありません。

そもそも、器楽やスポーツなら、毎日何時間も練習するのは当たり前です。では歌はどうでしょう。プロの声楽家でも、せいぜい1~2時間です。声の出し過ぎは喉を傷めてしまうからです。

あれ?もしかして努力したくても、努力する適切な方法がない??

そう、ここに最大のチャンスがあるわけです。

歌の上手い人たちも、やる気だけは人一倍あって努力できる人たちも、そのほとんどが適切な努力はしていないのです。

歌声で表現する

声楽には、ある程度の正しさ(規範)があります。でもポピュラーボーカルには、それらしきものがありません。
誰が聞いても下手…という音痴はともかく、歌声を使ってどう表現するかに絶対的な正しさはありません。
たとえ音痴でも、歌うことで得られる喜びがあるのですから、実力や目的問わず、目指すべきは「歌声で表現する」こと。

自分の歌声で思うように表現できているか?
出したい音色で、伝えたいことを伝えられているか?

そのための具体的な努力をするのです。漠然とした”正しさ”や”上手さ”を求めても、その場から一歩も進むことはできません。

所詮、上手いか下手か、好きか嫌いかは聞き手に委ねられてしまうのです。すべての人に認められる歌も歌い手も存在しません。
ならば、せめて自分らしく、自分の思うように歌えることを目指すべきです。

努力で歌は上手くなる!

生まれ持った”私”はこの先も私のままで、別人になることはありません。
ですが、私たちの心と体は常に留まることなく変化し続けています。
その心と体と密接な関係にあるのが歌です。

心と体が変化し続けるのなら、あなたの歌も変化し続けるということです。
変わり続けることを肯定できる柔軟性と好奇心があれば、才能や年齢を理由に諦めることはありません。

あなただけの歌声で表現してください。

そのために、自分の現在地を知り地図を広げてください。
そして、楽器としての自分の個性を理解し、奏者としての腕(技術)を磨き楽器と奏者が調和できるよう鍛錬を積むこと。なにより、音楽そのものを楽しむことも大切。

それらは、決して一人で成せることではありません。多くの人の助けが必要です。
具体的な努力の一つひとつには、膨大な知識と経験が伴います。本やネットを頼りに独習できるようなものでは残念ながらありません。

そう、まったくもって簡単なことじゃない。
知らないことだらけです。知ってもできないことばかりです。

でも、もし知ることができたら?
少しずつでも、できることが増えたら?
多くの人がしていない適切な努力を重ねることができたら?

そこには大きなチャンスがある!

ゴールのない果てしない道のりですが、歌が上手くなることは想像以上にすばらしく魅力的なのです。
もしも、あなたもそう思うのなら、、、。